ユジノサハリンスク (Yuzhno-Sakhalinsk)
日本語名である「豊原」と呼ぶこともあるが、ユジノサハリンスク市域は日本統治時代の行政区分では、豊原市、豊北村、川上村のそれぞれの一部にあたり、豊原とは区域が完全には一致していない. 日本統治時代(1905年 - 1945年)は樺太庁が置かれていた.
人口20万人(2020年). サハリン州の州都で、州内で最大の都市である. 市名は「南サハリンの町」の意.
1965年(昭和40年)に日本の樺太墓参団が訪問した当時の人口は約9万人規模. 急ピッチで5~6階建てのコンクリート製フルシチョフカ様式アパート群が建設されており、日本時代を偲ばせられたものは、旧豊原駅および旧樺太庁博物館程度だったとされている. 住民数に比べて交通量は少なく、市内の目抜き通りであるレーニナ通り(旧豊原大通り)には、まだ信号機が無かった.
かつてはホルムスク(真岡)まで通じていた(現在は途中駅迄)鉄道の分岐点.
輸送機関の修理工場をはじめ、鉱山、漁業、皮革、家具などの工場の他、高等師範学校、林、工、商の各種中等学校がある.
ユジノサハリンスク駅東口前にある公園施設「レーニン広場(旧豊原駅前広場)」には、今もレーニン像が残っている.